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酒井建城のページ開設
このページは画伯・酒井建城の作品を公開するページです。

画家・酒井建城氏(故人)の絵画作品の素晴らしさを
広く知っていただきたいと思い開設致しました。
どうぞごゆっくりご観賞下さい
# by kenjoart | 2005-12-19 14:12
生い立ち part2
彼が集めた骨董といわれるものは決して高価なものではなく、百姓の使った鍬、樽や瓶など、古い写真とか、懐かしさが感じられる品物で、今でこそジャンクスタイルやコレクティブルなどの言葉が一般的になり、高価な物のひとつになってしまったが、当時の我々にとってはガラクタに近い代物だった。その中には今から70年以上昔の希少な年代物のカメラなども含まれた。

 いまどきの写真は誰でも何時でも撮れてしまい、有り難味も味も薄いが、
ケンチャンの集めた古い写真は、昔はどこの家でもそうだったが、
プロの写真家に撮影してもらった家族が大切に保存していた記録写真だった。

 居心地がよかったのか、財布がすっかり空になるまでスペイン滞在した。
このスペイン滞在の記憶が61年の傑作「モンシロ蝶の飛び立つ日」に結実していった。

 この絵は昭和61年の東光展で、最高賞である会員賞を受賞した。
絵全体から受ける印象は、春の柔らかな陽光の差し込む農家の納屋といった感じがする。
印象深いのは正面に並ぶ二つの大きな古びた酒樽で、そのどっしりした重量感は観る者に安らぎを与える。
樽の木は年代を物語るように古びており,その上に色とりどりの春の花が咲き誇っている。
この対照の妙は素晴らしい。

 そして一番手前に何気なく置かれている竹籠には生みたての鶏卵がたくさん入っている。
この卵が観る者に不思議な感動を与える。それは生命の喜びとも言えるだろうし、キリスト教で鳩が神の恩寵を象徴するように,この世を統治する神の御業の象徴とも言えるのではなかろうか。
そして、菜の花の上に停まって今まさに飛び立とうとするモンシロ蝶も同じように生命あるいは御業の象徴である。ケンチャンが絵の横から今にも現れてきそうな感じがするのは私だけではないだろう。

 不幸にして,これからエンジン全開というときに、ケンチャンは病に侵され入院する。
退院後は体重が激減し、気力で制作していたように思われる。

最晩年の作品「乾いた喉」は「モンシロ蝶~」のそれとはうって変わって、
荒涼とした砂浜に半ば埋め込まれた時計、砂浜に突き立てられた無数の白い歯が象徴する死の世界を予感させる作品だった。
# by kenjoart | 2005-11-25 13:07 | 生い立ち
生い立ち
ケンチャン(何時でもみんなにそう呼ばれていた)は、子供の頃から絵が好きで、絵ばかり描いている少年だった。
写生大会で金賞を取ったりと、絵と名の付くコンクールは殆ど賞をもらっていた。
自然を愛し、昆虫採集や魚釣りも得意であった。休みの日には友達と当時住んでいた日暮里から上野の忍ばずの池まで往復歩いてフナ釣りに出かけたりしていた。
性格は素直で、温和、優しく、みんなから好かれた。

 東京美術学校を出てからは、映画の看板を描いて生計を立てていたが、その間、暇を見つけては絵を描き続けた。抽象、具象、写実、風景、人物、静物など、様々な分野の絵を描いたが、静物画がいちばん自分の思想を表現するのに向いているのではと静物画を多く残している。

 安井賞展に入賞した作品「白い帳面」では、例えば主題が「音」で、画面の中央に配置されたヤマハオルガンやトランペット、そして楽譜が「音」を表している。しかし、この「音」は最新式のピカピカのオルガンからではなく、戦前の小学校ならどこにもあった、古ぼけた、我々には懐かしさの感じられる楽器である。トランペットも同様で真新しいものではなく、手垢のついたものだった。

 昭和58年頃、ケンチャンは、友人で画家の葛原洌氏とスペインに遊学した。詳しい場所は知らないが、1年間二人で木賃宿に泊まって自活したそうだ。そこでも現地の人たちと仲良くなって、いくつか肖像画の作品を残している。また、そこで酒井建城の絵のスタイルとして確立する「骨董」に目を開くことになる。

続く
# by kenjoart | 2005-11-17 13:03 | 生い立ち
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